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東日本大震災復興支援ネットワーク こころネット

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  • 東日本大震災復興支援ネットワーク「こころネット」活動報告

設立までの経緯

 2011年、東日本大震災被災地を何度か訪れる中で、子どもや女性たちへのきめ細かい支援が必要であることを実感し、いろいろな場で被災地の状況を訴えながら、「face to face」「被災者と支援者をつなぐ」を基本に支援活動を開始しました。
最初に届いたオーダーは、ひとり一人サイズの違う女子中学生たちのブラジャーでした。大量のスポーツブラは、一度ではなかなか品物がそろわず、津市内のお店に何度も通いながら、やっと送ることができました。
 その他、生理用品、暖かい靴下、春物のハンカチ、スポーツ用具、高校入学祝いの文房具、お菓子、三重の米と野菜等々…。
 送り先は、被災地の小学校や中学校をはじめ、高校、その他施設など多岐にわたりました。
 口コミで支援者はどんどん増え、ネットワークが広がっていきました。
 そして、こんな仲間の思いをさらにつないでいきたいと願い、2012年3月11日「こころネットjを立ち上げました。

東日本へ「ぬくもり」を届けたい

3.11以降、具体的な東日本支援を呼びかけ、人と人をつなぐ、顔の見える支援活動にとりくんできました。特に子どもや女性の問題に焦点を当て、文房具や図書などの学習支援、クラブ活動費、女子学生の下着や生理用品、お母さん方へのあったかグッズなど、ニーズを聞き取り直接届けてきました。

女川町からの手紙〈お母さんから〉
震災後初めて開いたPTA役員会に、三重のお菓子が届き、涙がでました。見守ってくれている人がいる。嬉しかったです。
私たちは、忘れられるのが一番辛い。
ありがとう。

石巻市からの手紙〈先生から〉
子どもたちは、明るく元気に毎日を過ごし、一見すると普通の子ども達と変わりません。しかし、過酷な体験をしてきた子どもたちです。
張り詰めた気持ちで、「自分は大丈夫」「もっと元気にしなければ」「明るく前向きに」と言い聞かせながら生活していることがよく分かります。
これからが、本格的に心の問題が出てくる時期だと言われておりなお一層子どもたちの心に寄り添いながら毎日を過ごさねばならないと覚悟しているところです。

行ってきました!山田町

2012年4月27日

子どもも大人も楽しめる『わくわく広場J開催!
子どもから高齢者まで、皆さんが気軽に参加しやすい活動を!と考え、「メッセージカードJrプラパンキーホル
ダ-J r刺し子ふきんJr伊勢型紙Jの4種類の制作メニューを準備しました。子どもから高齢者までいろいろな出会いがありました。

2度目の訪問!山田町(岩手県)

2012年8月2日~5日

 「こころネット」(代表:杉本ゆや)は、子どもたちの夏休みにあわせて、8月2日〜5日に、再び山田町を訪れました。山田町社会福祉協議会から依頼をうけ、「さまあちゃれんじ」(夏休み子ども教室)に参加したり、仮設住宅や障がい者支援施設を訪問しました。これからも被災地を見守り続け、「できる支援をできるだけ」していきたいと思います。

「こころネット」の活動に、引き続き多くの方々がご支援いただいています。現職・退職の女性教職員、「シュワ津募金」(シャンパンの売上金から募金)に取り組み続けてくださる店主、毛糸で帽子やマフラーを編み送って下さる方等々です。
心から感謝申し上げます。

3度目の訪問!山田町(岩手県)

2013年4月26日~29日

「こころネット」(代表:杉本ゆや)は、みえ発!ボラパックII第28便で、岩手県山田町へ行ってきました。3度目の訪問となり、顔見知りの方も増えてきています。
防潮堤事業、高台住宅の用地取得、災害公営住宅などの復興関連事業がすすめられ、町は少しずつ活気を取り戻しつつあるようにも感じられます。しかし、当たり前だった日常を取り戻すのは、まだまだです。

福島支援ツアー!!

2014年9月5・6日

今年は三重県退職女性教職員の会の仲間の皆さんとともに二泊三日の福島支援ツアーへ。
仮設住宅などを訪ね、原発事故被災地の今を視察してきました。

1日目

「福島の今と学校現場」から心に刻んだこと
  • 「ふるさと」を失うということは、ただ単に「住むべき家を失う」ことにとどまらない。「地域コミュニティが破壊される」「仕事や生きがいを失う」「家族が離れ離れに生活する」など、生活そのものが破壊されてしまった。原発事故によって多くの人々が不幸になってしまった。
  • いわき市には、避難者が2万4千人生活している。人口が増えた結果、公共サービスの低下、医師不足、道路の渋滞などの問題が起きている。これらすべてを「避難者のせいだ!」とあつれきが生じている。
    「避難者はいわき市に税金をおさめていない上、東電から賠償金まで受け取っている」という声がある。しかし、避難者の気持ちは、「お金が欲しいわけではない。元の生活を返してほしいだけ」。
  • 「保障をもらっている・いない」「補償額の差」などで、福島県民の間にも意識の差が生まれている。
  • 「避難者どうし」や「避難していない被災者どうし」の間にも意識の差が生まれている。そのほとんどが補償額の差によるもの。
  • 福島の現状を語るとき、もっとも心を痛めるのが健康被害であり、特に子どもたちの健康被害である。2014年8月24日の発表では、甲状腺がんと診断された子どもは、57人となった。その他、疑いがあるのは、46人である。10万人あたり19人に見つかった計算になる。これまで、14歳以下の子どもで10万人中0.05?0.1人、成人で1.5人というデータからみて、明らかに異常である。
  • 放射能汚染により、残念ながら「福島差別」は存在する。放射線教育と人権教育を関連させて指 導を進めていきたい。過去に公害などにより、人権回復の運動に取り組んできた地域と連携して いきたい。
  • フクシマを忘れてもらっては困る!原発はいらないという声をあげて欲しい!

2日目

居住制限区域 飯館村村へ!

バスの中の放射線量計の数値が、あがっていきます。
バスの中でも、窓側の線量が高くなるように思います。
トンネルに入ると、いっきに下がりました。
同時刻の三重県四日市市の放射線量は、0・046でした。

居住制限区域 飯館村の除染作業

道路沿いはいたるところで、除染作業中です。

中学生の声

「東電は何でもお金で済まそうとしている。私たちは、お金では買えないものを失った!」
「最後は金目でしょ」と発言した石原環境大臣は、この声にどう応えるのでしょうか。

金谷清子先生の「伝えたい思い」

元南相馬市小高小学校教諭の金谷先生(この春退職)から、「震災の記憶?伝えたい思い?」と題して、お話をうかがいました。 三重県の元教員八木早苗さんが、「先生が元気にならなければ、子どもたちも元気になりません」と、支援し続け交流を深めてきました。たくさんの言葉が心に刻まれました。

  • 私たちの生活は3月11日以降大きく変わりました。家、学校、地域、友人、安全、心の平穏を失ってしまいました。何よりも悲しかったのは、学級の子どもたちがバラバラになってしまったことです。教師としてこれほど悲しい思いは初めてでした。そして、避難区域になり、自由にたち入れなくなってしまったあの小高の家には、もう二度と我が子や孫たちが安心して帰ってこれなくなるのではという暗い絶望感に打ちのめされました。
    その一方で多くのことに気づかされました。親戚や友人の温かい愛情と友情。避難して遠方の学校に転入した子どもたちのたくましさ。再会の喜び。三重県の八木早苗先生をはじめ、さまざまな方からいただいた支援のありがたさ。そのおかげで何とか、家族で知恵を出し合って励まし合いながら一日一日を生き、やっとこの3年半を乗り切ってきました。
  • 子どもたちの健康が心配です。ホールボディカウンターや甲状腺がんの検診に担任が連れて行きます。検査着に着替える子どもたちを見て、やるせない気持ちになりました。南相馬市は今年も稲作を行っていません。水、土、空気が心配です。梅や竹の子は出荷制限の状態です。町の将来が心配です。
  • 子どもたちには先の見通しが立たないからこそ、知識や思いやりの心を身につけ、歴史やいろいろな困難なことに打ち勝ってきた人々のことを学んで生きる力をつけて欲しいと思っています。子どもたちが自分の夢を実現できるように、学ぶことの大切さを伝えていきたいと考えています。
南相馬市小高小学校 校舎を訪ねました

金谷先生が24名の3年生の子どもたちと2011年3月11日まで学んでいた校舎を訪ねました。
校舎は避難指示解除準備区域にあります。教室の黒板の日付は3月11日でした。
金谷先生は、退職を期に未来に向けて目標をたてたそうです。

  • この震災と原発事故のことを正しく認識し、伝えていくこと。福島県は今も風評被害に苦しんでいます。これからがたいへんです。正しい情報を流すことが国の責任だと痛感しています。
  • 震災・原発事故で生活が激変してしまった子どもたちに寄り添い、ボランティアをしていくこと。  放射線への不安から、真夏でもマスクや長袖をやめられない子もいます。

3日目

「仮設住宅視察」で心に刻んだこと

最終日は、ここが10カ所目の避難所という方たちから、浪江町の避難の現実や今の思いをお聞かせいただきました。

  • 町民は県内カ所の仮設住宅、借り上げ住宅で生きる。他の都道府県、海外へ避難。三重県にも浪江町民8人が避難している。避難生活4年目に入り、風化と棄民になることへの怯えの中の我慢を強いられている。
  • 3月11日、原発五号機で作業していた。原発作業服のまま避難した。当時、原発で働いている人への社会の目は厳しく、放射能そのものと見られ、避けられた。原発で働いていたことは絶対に内緒にしようと、仲間内で約束した。
  • 放射線量が高いのはわかっているけれど、作業を続行したこともあった。過酷な現場である。全国から作業員が集まっているが、放射能について十分に教育を受けているか心配。
  • 福島でこれだけ被害があったのに、再稼働しようとする国がわからない。再稼働させてはダメだ!
  • 仮設住宅では、みんなで畑をつくったり、手芸品を作ったりして励ましあって暮らしている。

岩手県山田町秋祭りで伊勢うどん出店!

2015年9月20日

今年の東北は、岩手県山田町。
夜行バスで朝8時に到着しました。
この日は山田祭りです。町屋百人衆の皆さんと、伊勢うどんを出店しました。

2年連続!岩手県山田町秋祭りで伊勢うどん出店!

2016年9月18日

今年も、町屋百人衆の皆さんとともに、岩手県山田祭りに参加しました。

まちには「災害公営住宅」ができ、JR山田線の駅の工事も始まりました。少しずつ復興が進んでいます。
「子どもふれあいセンターはぴね」が7月に開設され、新たな居場所づくりが、素敵です。

岩手県山田町ふれあいセンター「はぴね」

図書館機能を持った、小中高生世代の居場所です。子育て世帯やお年寄りも利用することができ、さまざまなつながりが生まれています。
山田町子どもまちづくりクラブが、町からの提案を受け、2014年9月から企画・デザインを開始。
子どもたちが専門家のアドバイスをもらいながら、地域の意見を聞き、町と連携して、デザインを決定しました。
2016年7月、子どもまちづくりクラブを主催する公益社団法人セーブ・ザ・チルドレンから山田町へ寄贈され、開館後は、町が地域の子どもたちの意見をもとに運営しています。

宮城県女川町に行ってきました!!

2017年8月23・24日
宮城県女川町立女川中学校

東日本大震災から8ヶ月後、11月、女川一中の1年生(当時)64名は、社会科の授業を通して考えた「津波の被害を最小限にする3つの対策案」を発表。その後、その対策案は、保護者や先生方、地域の理解と協力によって広がり、翌年7月に開催された世界閣僚防災会議でも取り上げられました。
その後、子どもたちは高校生になってからも、108回の会合を持ち、取り組みを続け、「女川いのちの石碑」を建立し(現在16基)、「女川いのちの教科書」をつくりあげました。
合言葉は、「1000年後の命を守る」
中心となった阿部一彦先生は、私が3・11支援を始めるきっかけとなった方です。
今回は、この6年間、女川中学校のお母さんや子どもたちに支援を続けてきた女性教職員の皆さんと一緒に訪問し、今後の支援について相談させていただきました。これからも、「応援しているよ」のメッセージを送り続けます。

女川中学校の子どもたちの俳句

宮城県女川町立女川中学校の子どもたちが、3・11発災の2ヶ月後、俳句をつくりました。
その俳句が新聞報道などで発信されると、連句のように7、7の句が全国から女川中に届けられました。
そのことが、中1の教科書にとりあげられています。
「見上げれば、ガレキの上に鯉のぼり」
「夢だけは 壊せなかった 大地震」
「ただいまと 聞きたい声が 聞こえない」
「逢いたくて でも会えなくて 逢いたくて」等など
私は、2011年5月5日に、初めて女川を訪れました。
高台からガレキの上の鯉のぼりを見たとき、なんとも言えない気持ちになったことを思い出します。

女川町「つながる図書館」

3・11後、仮設住宅で暮らす子どもたちの学習環境は厳しく、その中で、少しでも家庭の教育文化環境を良くしたいと、当時の遠藤教育長の深い考えで、つくられたのが「つながる図書館」です。「希望のえんぴつプロジェクト」も応援させていただいと記憶しています。
教頭先生から、女川中の子どもたちの読書量は増えていると伺いました。

宮城県名取市立閖上中学校

ご案内いただいた教頭先生から、震災で亡くなった子ども一人ひとりへの思いを聞かせていただきました。
閖上中学校3年生が 卒業する際、毎年、シャープペンシルやlボールペンを贈ってきた女性教職員の皆さんと一緒に、これからの支援の相談に伺いました。
昨年の生徒会長 の「まだ忘れられていないんだ」という言葉をご紹介いただきました。これからも応援メッセージを送り続けます。

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